老いる為には相当の心構えが必要
こんばんは、昨日は意図せずに朝方まで起きていました。
時間を知って慌てて寝ましたが、4時間後には目が覚めてしまいました。
睡眠不足です。
若い頃のそれと違って、なにかが「重い」そう感じることが増えました。
頭痛ともちがうし、目の奥が痛いような? 体は休みたいのに若い頃のように眠り続けることができない。 つらいですねー(笑)
ここ数年、年老いていく知人たちを見ていて感じていること・・・
成人が歳を重ねることで心が受ける衝撃は、青少年が成長の過程で感じる喜びをはるかに
上回るだろうということ。
私はまだ、そこまでの年齢ではありませんが、「今まで出来ていたことが出来なくなった自分に遭遇する」ということは大変な衝撃だと思うんです。
その時の自分は、出来ていた過去を覚えているんですよね、知っているんですよね。
それなのに、目の前の自分というか、そこにいる自分はそれが出来ないことを自覚してしまう。 怖いですよ、悲しいですよ。 耐え難い出来事ですよ。
出来なくなった時点で、出来ていた過去の記憶がなくなるとか、呆けてしまうとかすればそのショックに直面せずにすむのでしょうけどね。
神様はそんな都合の良い機能は付けて下さらないようです。
呆けてわからなくなるまでは、何度も何度も同じようなことに直面し、衝撃やつらさを乗り越えなければならない。
老いと向き合うということは、ひ弱な心では押しつぶされてしまいそうですね。
再婚しない確率99.9%のおばさんは、今後、神仏にお参りする時には・・・
「心が強くなりますように」 そして 「願わくば、他人様に迷惑をかけずに済むように死ぬ時はぽっくりと逝かせて下さい」と手を合わせることにします。
では、明朝までの就寝へ行ってまいります。 左様なら
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